1994年10月5日。スイスの西部に位置するフリブール州のシェリー村。牧草地と畑が織りなす、いかにもスイスの田舎らしいのどかな光景が広がるこの場所で、事件は幕を開けた。
その日の夜12時ごろ、静かな村に突如、爆発音が鳴り響いた。
この音を聞いた村に住む63歳の男性は、当初、若者達がパーティーでもやっていて、爆竹でも鳴らしているのだろうと思ったのだという。
だが、音がした方角に広がっていたのは、そんな若者たちの青春の1ページを切り取ったような光景ではなかった。
明かりも乏しい農村の夜を引き裂くように、丘の中腹にある農園から激しい炎が燃え上がっていたのだ。消防隊がすぐに現場に駆けつけ、消火活動が開始された。
炎は納屋を中心に燃え広がっていたが、隣接する建物にはまだ火の手は伸びおらず、すぐに内部に人間がいないか確認作業が行われた。
すると、室内のベッドで、この農園の所有者アルベール・ジャコビーノが横たわっているところを発見された。爆発の衝撃で気を失っているのかと思われたが、その姿は異様なものであった。
頭からビニール製のゴミ袋をかぶり、首には紐が縛られているという格好で死亡していたのだ。ただの火災ではないことは明らかであった。それを裏付けるように警察の現場検証でさらに不可解なものが見つかる。
建物の壁と溶け込むような姿に偽装された隠し扉が見つかり、内部には地下へと続く階段が伸びていた。
地下室にはテーブルや椅子が並べられており、高価なシャンパンの空瓶が転がっていた。それは昨夜ここで祝宴が催されたことを物語るものであった。
部屋の中をよく調べてみると、ここの壁にもおかしな点が発見された。叩いてみると壁の向こうに空洞があるような音がするのだ。入念に調べたところ、ここにも隠し扉があることがわかった。
その扉の向こうにあったのは、目を疑うような光景であった。
その部屋はまるで聖堂のような作りになっていて、祭壇があり、床には大きな星形のマークが書かれた赤い絨毯が敷かれていた。
そして、祭壇の前には20人の男女の死体が頭を外側にして、円形に並べられてあった。
その半数はジャコビーノと同じようにゴミ袋を被せられており、儀式用の僧衣を身にまとっていた。
死体の中には両手を後ろ手に縛られているものもあり、全ての死体は頭部や首を銃で撃たれていた。中には10発近くの銃弾を浴びているものもあった。
他にも部屋が2つあり、それらの部屋からも3つの死体が見つかり、これで死者の数は24人になった。死者のほとんどが大人であったが、まだ10歳くらいの少年の死体も発見された。
部屋からは宗教関連の書籍やキリストの肖像画などが見つかり、三丁のライフルも発見された。
この隠匿された部屋でなんらかの宗教的な行事が行われており、それに関連する集団死亡事件が起きたことは明らかであった。
だが、その農園は無農薬農法を売りにする農業が行われてことは知られていたが、まさか地下がこのような宗教施設になっていたとは、地元警察をはじめ、村の人間は誰一人知らなかった。
不可解かつ恐ろしい現場で警察が困惑する中、スイス国内でもうひとつの事件が起きていた。