この一連の書物に惹きつけられたのは一般大衆だけではなく、当時の知識階層の人々も同様であった。
自然科学が花開く礎となる経験論を発展させたフランシス・ベーコンや、「我思う故に我あり」の言葉で知られる哲学者デカルトなど、当時の名だたる知識人をも虜にし、彼等の思想などにも影響を及ぼしたと言われている。
薔薇十字団の団員たちが暮らしているという「精霊の家」なども捜索される事態にまでなるが、その痕跡さえ発見することは出来なかった。
それもそのはずである。今では「薔薇十字団」は存在しない架空の団体であり、ヨハン・アンドレーエというキリスト教の神学者とその仲間達の創作であったことが明らかになっているのだ。
なぜ、創作にすぎない存在に知識層までが魅了されたのか。
それは、腐敗にまみれ、行き詰まりを見せていた教会に変わる、新しい知識体制の母体となる可能性が見いだされたからであった。
特に注目されたのが、「秘密結社」という組織形態であった。腐敗しているとはいえ強大な権威と力を持つ教会に対抗するには、「秘密結社」という秘匿性の高い組織形態が有効だと考えられたのである。
やがて「薔薇十字団」に対する熱狂も冷めて行くが、その後テンプル騎士団と同じように、「薔薇十字団」を名乗る人間は数多く現われ、「黄金薔薇十字団」と総称される、数多くの秘密結社を生み出していく。
その中で、「薔薇十字団」は「テンプル騎士団」の末裔達だとする言説がまことしやかに囁かれるようになり、「薔薇十字団」と「テンプル騎士団」がなかば同一視されるようになっていった。
この融合はさほど違和感のあるものではなかった。共にキリスト教と神秘主義を背景にもつ存在であるため、容易に結びついていったのである。
そのため、現代においても「ネオ・テンプル騎士団」に所属する人間の中で、同時に薔薇十字の思想を信奉している人間は数多く存在し、「薔薇十字」の名も危険な目的のために利用されて行くのである。
ずいぶんと解説が長くなってしまったが、「薔薇十字」とはヨーロッパの歴史と神秘主義を背景にもつ思想をさす言葉であり、その思想を信奉する集団ということは、カルト的な集団であることをも意味するのである。