手紙やマスコミの報道によって「太陽寺院」がどのような背景を持つ教団かが明らかになったが、それはヨーロッパの国々に非常に大きなショックを与えることになった。
それは、カルトの脅威が遂にヨーロッパにももたらされたというショックである。
見て来たように、ヨーロッパにはカルト的な組織が生まれる歴史的な背景があったわけだが、世界的にカルトによる犯罪が横行した1970年代~80年代でも、ヨーロッパでは大事件を引き起こした例は乏しかった。
当時、カルトによる大事件が最も集中したのはアメリカである。
900人以上の死者を出した「人民寺院」や女優のシャロン・テートを殺害した「マンソン・ファミリー」、終末思想を説き国家権力との対決によって81名の死者を生んだ「ブランチ・ダビディアン」など、アメリカでカルトが起こした大事件は枚挙にいとまが無い。
アメリカでカルトが関連する事件が頻発するのは、ニューエイジ運動を生んだ国であることとも多分に関係がある。
ニューエイジ運動は行き過ぎた物質主義や効率主義、そして「正義無き戦争」と呼ばれたベトナム戦争に対する反動として生まれた精神主義ムーブメントである。
ポジティブシンキングや東洋思想などを取り入れた自己啓発的な分野に注目が集まることになるのだが、そうした精神世界への傾倒は多くのカルト的な組織を生み出す温床になり、数々の大事件をも生むことになった。
それは、社会的な脅威であり、アメリカと同様の文化圏を持つヨーロッパにとっても、自国でも同じような事件が頻発するのではないかという危機意識を植え付けた。
だが、ヨーロッパでは同様の事件はあまり見られなかった。
そのため、アメリカで集中的にカルトによる大事件が起きるのは、アメリカという国が持つ一種の社会病理であり、アメリカ特有の問題だと考えられるようになった。
だが、太陽寺院事件が起きたことで、ヨーロッパにもその病理がついに訪れたのだという衝撃をもたらせることになったのであった。
こうした事件に対する免疫が薄かったヨーロッパの人々にとって、「太陽寺院」の犯行声明がもたらした衝撃は非常に大きなものであったのだ。