忍者ブログ

事件ファイル

事件ファイル

太陽寺院事件ー指導者の行方

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

太陽寺院事件ー指導者の行方

こうして様々な視点から「太陽寺院」の分析が進んでいったが、依然として指導者たちがいったいどこにいるのかは不明なままだった。

身元が判明した死体の中からは、いまだジュネやディ・マンブロなど指導者のものは見つかっていなかったのだ。

もし、指導者たちが生きているとすれば、惨劇は終わっていない可能性も考えられるため、警察は指導者たちの捜索にやっきになっていた。

その一方で死亡した信者たちの身元が明らかになってきていた。これまでの調査で身元が判明した死亡者の多くが、裕福な身分にある人々のものであった。

カナダの財務省に勤めていた官僚や成功した実業家、医師や新聞社の記者に知事など、安定した職と豊富な資産を持つと考えられる人々である。このこともヨーロッパの国々に衝撃を走らせることになった。

それはアメリカなどに散見されるカルト教団による事件には見られなかった現象だったからである。

例えば、「人民寺院」では、信者のほとんどが貧困層であったし、「マンソン・ファミリー」でマンソンと行動を共にしていたのは、家出した少女やヒッピーの若者たちであった。

こうしたカルトに取り込まれやすいのは、救済を必要としている人々やまだ未成熟な面を持つ若者たちだと考えられており、「太陽寺院」のように、社会的に成功した人々を信者に持つカルト教団は、それまであまり前例の無いことだったのだ。

なぜ、彼らがこのような人々がカルト教団に入信し、さらにこのような末路を辿ることになったのか、謎は深まるばかりであった。

警察はジュレやディ・マンブロ、ルネなどの指導者が集団自殺に見せかけ、逃亡を図っているのではないかとする線で捜査を展開していた。だが、サルヴァン村で見つかった身元不明の死体の検分が進み、歯の治療記録などと照合した結果、3人の死体もこの中に含まれていたことが判明する。

その後の捜査や信者の証言などで指導者の役割や生い立ち、そして事件までの過程も明らかになっていった。

PR

ゲーム売れ筋ランキング
本の売れ筋ランキング
家電・カメラ の 人気度ランキング
新着ランキングを見る
ほしい物ランキングを見る
人気ギフトランキングを見る
PR

コメント

カテゴリー

メールフォーム

PR