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太陽寺院事件ー薔薇十字軍

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太陽寺院事件ー薔薇十字軍

いいかげん「薔薇十字」の解説に入ることにしよう。17世紀初頭のヨーロッパで一大ブームとなった書籍群があるのだが、その中に「薔薇十字」の名が登場する。

そのブームの火をつけたのは、1614年に出版された「全世界の普遍的かつ総体的な改革」と題された本なのだが、多くの人々の興味を惹きつけたのはこの本の付録に付けられていた「友愛団の名声」という小冊子の方であった。

この小冊子には「薔薇十字団」という秘密結社を創設したクリスチャン・ローゼンクライツ(この名前自体が「薔薇十字」を意味している)なる人物の生涯が記されていた。

その内容は以下のようなものであった。

ローゼンクライツは1378年にドイツの貧しい貴族の家庭に生まれたが、幼い頃に両親を亡くし修道院に入る。

そして、16歳の時にエルサレムへ巡礼の旅に出る。だが、旅の途中で東方の賢者と出会い、ダムカルというカバラ(ユダヤ教の神秘思想)や錬金術が研究されているという秘密の場所があることを知る。

ローゼンクライツはエルサレム行きをとりやめ、ダムカルを訪れる。ここで医学や数学、神秘学など様々な学問を修得する。

次にさらなる知識の獲得を目指して、モロッコを訪れる。ここでいにしえの叡智が生み出した秘術や魔術などを学び、自然界の大いなる秘密をも体得するようになった。

これらの知識や秘術をもとに、ローゼンクライツは世界の改革に乗り出そうとするのだが、支配階級の人々は誰も彼の話に耳を貸そうとはしなかった。

失望したローゼンクライツは故郷のドイツにもどり、弟子達と共に「薔薇十字団」を結成し、自身が体得した秘術を弟子達に伝えていった。

1484年、「私は120年後に蘇るだろう」という言葉と、100年間は「薔薇十字団」の存在を隠し続けるよう言付けを残し、ローゼンクライツは106歳でこの世を去る。

そして、ローゼンクライツの死から120年以上が経過したため、「薔薇十字団」の実像をこの小冊子よって公にする。これが小冊子の内容であった。

この小冊子「友愛団の名声」は凄まじい人気を博し、翌年に「友愛団の信仰告白」、さらにその翌年に「科学の結婚」という書籍が刊行されたことで、一大ブームとなっていく。

多くの人々が「薔薇十字団」の存在を信じ、そうした秘術が実際に存在するのだという見方が急速に広まっていった。

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