事件の前年、指導者の1人リュック・ジュレはサイレンサー付の拳銃を所持していたことが発覚し、カナダで他の教団員とともに逮捕されていた。
この時は750ドルの軽い罰金刑で釈放されていたが、他にも太陽寺院に関する疑惑が浮上する。
もう1人の指導者ディ・マンブロがスイスの銀行からカナダの銀行へと巨額の資金を移しており、マネーロンダリングの可能性があるとして、銀行からの情報提供が警察にもたらされていたのだ。
また、驚くべきことに、ハイドロ・ケベックという州の電力供給を担う電力会社に多数の「太陽寺院」信者が潜伏していたことも判明する。
その数は総勢60名あまりに及び、彼等は会社の会議室を使って教団の集会なども行っていたのだという。
国のインフラを担う企業に信者がいたことで、カナダの捜査機関では警戒すべき宗教団体としてマークされていたのである。
こうした情報はスイス警察にも共有され捜査は進展していった。
「太陽寺院」はカナダやスイスの他にも、複数の国に建物を所有していたことも明らかになり、まだ彼らの「旅立ち」は終わっていないのではないかとして、全ての建物が調査されることになった。
教団はスイス、カナダ、オーストラリア、フランスなどに計10箇所以上の不動産を所有していたことが判明したが、フランスの「ルネサンス園」と名付けられた農園には最初の事件現場となったシェリー村の地下聖堂と同じような施設があり、この施設からも爆破装置が発見された。
だが、こちらの爆破装置につながれたガスボンベは、ガスが霧散してしまったようで爆破に失敗していた。
巨額の金を動かし、いくつもの建物を所有していることからも相当な資金力を持つ教団であることは明らかであった。
実はスイスの報道機関に届いた一連の文章には、「太陽寺院」がどのような教団なのかを知る重要なキーワードが書かれていた。
それは「薔薇十字」という言葉である。欧米ではよく知られている言葉であるが、日本ではマイナーな部類に属する言葉であろう。
本事件を解説する上で、重要なキーワードとなる言葉であるため、やや長くなるが「薔薇十字」という言葉の意味を解説しておくことにする。