次に1995年と1997年の事件が教団の教えを守り続けた人々の後追い自殺だった可能性を検討してみよう。
みてきたように、「太陽寺院」が信者をコントロールするために行っていた手法はカルトの中でも別段際だったものではなかったうえに、1995年と1997年の事件が起きたのは教団の欺瞞が全て暴かれたあとのことであった。
だとすれば、後追い自殺だとする可能性は薄いように思える。事実、集団死亡事件を引き起こしたカルトで、教団の欺瞞が明らかになったあとに、これほど多くの信者が後追い自殺的に命を落とした例はほとんど見られないほどである。
だが、カルトの本質と信者たちが富裕層であったとする事実を総合すると、ある仮説を考えることが出来るかもしれない。
多くの終末論的カルト教団の教義がそうであるように、「太陽寺院」でも指導者たちは「世界が終わる中で、自分たちだけは生き残る」という救済教義を信者たちに刷り込んでいった。
カルトはこうした救済教義を信者たちに刷り込むために、以下の5つのステージを辿らせるのだという。
1. 勧誘
2. 救済教義の導入
3. グループへの取り込み
4. 周囲からの隔離と孤立化
5. 救済教義の固定
「勧誘」では親身になって相談に乗ることから教団への参加を呼びかけ、参加した人間に奇跡を体験させることで、教団に対する「あこがれ」を抱かせる。
「救済教義の導入」では、親密な関係になった先輩信者から小出しに救済教義が与えられて行く、その過程で盛んに先輩信者からほめられることで、承認欲求を満たされて行く。この段階で既に入信者の思考と感情はコントロールされ始める。
「グループの取り込み」の段階では、それまでの生活を捨て、教団内で生活する人間が出始める。今までとは打って変わって勧誘活動や肉体労働など過酷な任務を与えられるのだが、アメとムチを適度に使われる事で、それすらも進んで行うようになる。つまり行動すらもコントロールされた状態となる。
「周囲からの隔離と孤立化」の段階になると、社会から完全に切り離された存在になる。さらに強度に感情をコントロールされることで、過去や思い出といったそれまでの人生全てを否定し、救済教義を実現するために、あらゆることを捧げるようになる。妻や夫の入れ替えを受け入れるのもこのころである。
「救済教義の固定」の段階では、カルト教団の人間であることがその信者のアイデンティティとなり、家族すら堕落した下界の人間としか思えなくなる。だが、精神的には不安定になりやすいのだという。救済教義の実現に向けてあらゆる行動をしているのに、そこに到達出来ないからである。そのため、教祖はこの段階の信者にも繰り返し教義を刷り込み続ける。