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マーダーインク事件ー大物マフィア達の黄昏

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マーダーインク事件ー大物マフィア達の黄昏

マイヤー・ランスキーは、数字に対するずば抜けた能力を発揮して、様々な事業を行い、マネーロンダリングの手法をも生み出したと言われている。

また、ユダヤ系だったランスキーはユダヤ人のための国家、イスラエルの建国運動にも関与し、地下活動を行っていた運動家たちに武器を援助していたことが知られている。

晩年は自分のホテルの近くを散歩するなどの穏やかな生活を好み、1983年、82歳で死去した。

フランク・コステロはルチアーノが収監されてから、ルチアーノ・ファミリーのまとめ役となった。

だがその後、マフィア追放を目的とした組織、キーファーヴァー委員会によって公聴会に召喚された際に、テレビカメラの前で口ごもる姿を見せてしまったことから、その権力に陰りが見え始める。

この失態によって、ヴィト・ジェノヴェーゼとの間で激しい権力争いが生まれ、一時その座を奪われるが、後に持ち前の策略でジェノヴェーゼを刑務所に送り込むことに成功する。

晩年は高級ホテルで優雅な余生を送り、1973年に心臓発作で死亡した。

ラッキー・ルチアーノは獄中でも依然として権力を持ち続け、第二次世界大戦が勃発すると、ニューヨークの港へ敵国のスパイが侵入すること防ぐための対スパイ活動にマフィアを参加させ、獄中にいながらにして国防にまで影響を及ぼした。

ルチアーノは10年にも及ぶ刑期の後、州知事となったデューイの恩赦によって釈放されるが、アメリカ国籍をもっていないことが発覚し、国外退去の身となった。

以後は故郷シチリアに移り住むことになるが、そこでも権力を維持し、アメリカのマフィア達に影響を与え続けた。

さらに、中東・ヨーロッパ・アメリカを結ぶ、麻薬の製造・密輸ルートを造りあげ、その権力と資金力はアメリカ時代を上回るものになった。

だが、二度とアメリカに戻ることはできず、1962年にルチアーノの自伝を映画化したと申し出ていた映画プロデューサーを空港に迎えにいった際に、心臓発作で倒れ、この世を去った。

多くの人間の命を奪うことになった「マーダーインク」だが、それは、ルチアーノが絶大な権力を背景にして展開した、様々な事業の一つに過ぎなかった。

きっと、晩年のルチアーノにとって、仲間などと会った際に話題に上る、昔話の一つ程度の存在だったことだろう。

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