1893年6月5日。全米中のマスコミが注目する中、裁判が始まった。
検察側には最高裁の判事を勤めた経験を持つムーディ検事が選ばれ、弁護側には州の司法長官を務めた経歴を持つロビンソン弁護士が選ばれていた。双方共に、考えられる中でも最高の人選で裁判に望む形となった。
検察側はリジーとアビーの間で家の相続にまつわる争いがあったことを挙げ、犯行を行うだけの動機があったことを主張した。
さらに、この騒動があったあと、リジーは継母のアビーのことを「お母さん」とは呼ばなくなり、「ミス・ボーデン」と呼ぶようになったことを付け加え、2人の間の確執が相当なものであったことを印象づけた。
そして、リジーが事件後に服を燃やしていたことを明らかにした。事件の3日後にリジーの友人アリス・ラッセルが家で服を燃しているリジーの姿を見ていたのだ。
アリスに「なぜこんな事をしたのか」と聞かれ、リジーは「ペンキが付いてしまったから処分した」と答えたのだという。
問題の凶器については、凶器は地下にあったものが正にその凶器で事件後すぐに血痕が付いた歯の部分を洗い、灰をまぶした。そして柄は万力のようなもので押しつぶして処分したのだと主張した。