これでクロウハーストは完全に追い込まれてしまった。
クロウハーストの頭の中でゴールで待ちわびる様々な人々の顔が浮かんだ。
自分を応援してくれている彼の地元タインマウスの人々、窮地を救い出資を申し出てくれたスタンレー・ベスト、そして家族。彼等はきっと自分がゴールする姿をいまや遅しと待ちわびていることだろう。
しかし、1位のままゴールすることは出来ない。かと言って状況的にもうリタイアする事も出来なかった。
クロウハーストの帰港予想日が目前に迫る中で、そうした解決策の無い堂々巡りを続けた結果、クロウハーストの精神は崩壊していく。
そのすさまじい苦悶の様子は航海日誌に克明に綴られていた。クロウハーストが残した最後の航海日誌にはこう記されていた。
「おまえが動き出す時間 ゲームを引き延ばす必要ない 面白いゲームだったがもう終わり 11 20 40 ゲームを終える 障害になる理由は 」。
数字は時刻を指し示しているのだと考えられている。11時20分40秒、その時刻ちょうどだったのかはわからない。だが、この日クロウハーストは海に身を投げて命を絶った。
これが、クロウハーストが失踪した理由だった。捜索がおこなわれたが、結局、遺体は発見されなかった。
レースはこうして全てのライバルを失ったロビン・ノックス=ジョンストンが優勝を手にしたのであった。
クロウハーストは嘘が生みだした絶望的な状況に耐えられなくなり、自ら命を落とした。だが、彼の周囲やレースの関係者の中でそのことを責めようとする人間はいなかった。
残されたクロウハーストの家族のために、有志達の手によって彼等の今後の生活を支えるための基金が設立され、ジョンストンは獲得した5000ポンドの賞金の全てをその基金に寄付した。
クロウハーストの船タインマウス・エレクトロン号は、ケイマン諸島の一つ、ケイマン・ブラック島に引き上げられ、今も朽ち果てた姿のまま残されている。