翌年3月20日、ジョンストンがレースの最終区間に入った事が報告された。
5月11日、この時トップを走っていたテトリーの船が事故により、運行不能な状態に陥る。
これで残されたレースの参加者はジョンストンとクロウハーストのみとなった。優勝候補の筆頭と新人による一騎打ち。これほど盛り上がるレース展開も早々あるものではなかった。
イギリス中がこのレース展開に湧き、どちらが最も早い期間でゴールするのか大きな注目を集めた。
ジョンストンの船は優れた安定度を持つものの、スピードはさほど出るタイプの船ではなかった。かたやクロウハーストの船はここまで驚異的なスピードで航海を続けていた。
次第に、クロウハーストが5000ポンドの賞金を手にすることは確実な状況となった。
イギリス中が固唾を飲んでクロウハーストのゴールを待ちわびるなか、不可解な事件が起きる。
7月10日、優勝が確実視されたクロウハーストの船が通りかかった軍艦によって無人の状態で発見されたのだ。船内には救命ボートや食料がそのままの状態で残されていた。
このミステリアスな船内の状況から、メアリー・セレスト号の再来とも言われ、クロウハーストの身にいったい何が起きたのか、様々な憶測が飛び交った。
レースを企画したサンデータイムズ社が航海日誌やカメラの調査を行った結果、クロウハーストの失踪の理由が明らかになった。
そこから浮かびあがったのは、ミステリアスな憶測とは程遠い、1人の男の生々しいまでの悲惨な姿であった。