警察はイタリア移民のコミュニティーを中心にテッキオの犯行を裏付ける話を得られないか、聞き取りを行った。しかし、テッキオを恐れているのか、誰もがテッキオのことを聞かれると口をつぐんでしまいなにも話そうとはしなかった。
警察は唯一残されていた血の付いた指紋の調査も進めていた。しかし、なんのことはない、この指紋は捜査に訪れた警察官のものだったことが判明する。
これで事件は完全に暗礁に乗り上げてしまった。テッキオを逮捕出来るだけの証拠が見つからないまま時間だけが過ぎ、事件発生から5年が経過した1934年、テッキオが死亡してしまう。
これで仮にテッキオが犯人だったとしても、真相を追求するすべは永久に失われてしまった。
そうして、捜査の進展はないかに思われていた矢先、死んだはずの新聞配達の少年が警察に現れた。
彼はテッキオの報復を怖れ、隠れていたのだと語った。そして、確かに事件が発生した翌日の朝、テッキオがエヴァンジェリスタ家の玄関にいたところを見たのだと警察に話した。
しかし、この有力な証言者の出現もテッキオが死亡した今となっては遅すぎた。こうして未解決事件となり、その謎は今も解明されぬまま残されることになった。