1989年10月20日の深夜、ロンドン近郊のエンフィールドの支払機のそばに車が停車した。車からヘルメットを被った男が出てきて、支払機に近づいていった。張り込みをしていた捜査官は風貌から犯人に違いないと踏んで、男に声をかけた。
持ち物を調べてみると、犯人が懸賞金の支払いに指定した口座のキャッシュカードが出てきた。それを突きつけられると男はその場で気を失ってしまった。
実は回線切断のトラブルが逆に捜査陣に幸運を呼び寄せていた。男は当初は別の場所の支払い機に向かったのだが、そこの支払機は回線がダウンしていたため、使えなかった。そこで、エンフィールドの支払機にやってきたところ、逮捕されたのであった。
男の名はロドニー・ウィッチェロ、少し前に警察を退職した元刑事であった。
ウィッチェロは裁判では無実を主張したが、家から脅迫に使われた手紙が発見されたことで有罪となり、17年の禁固刑を言い渡された。
ウィッチェロが犯行を思いついたのは1986年に刑事養成講座を受けた時であった。その講座で微生物学者がハンバーガーに水銀を混入する形で企業を脅迫した事件があったことを知った。これに手を加え、捜査情報を知ることが出来る立場にいる自分がやれば完全犯罪を行えると考えた。
ウィッチェロは偽名の口座を開設し、人相の記憶が完全に失われるよう2年間待った後に犯行を開始した。
そのため、いともたやすく捜査の裏をかき続けることに成功していたのであった。しかし、アジャンクール作戦にまんまと騙され、もう捜査情報を知る必要がないと判断して警察を退職した。
そうして、金の引出しに専念しだした時に捕まったのであった。ウィッチェロが脅迫した370万ポンドの内、実際に手に出来たのは3万2000ポンドだった。