しばらくしてアーチボルトが帰還し、1919年には娘のロザリンドが生まれる。
1920年には、出版を断られ続けていた「スタイルズ荘の怪事件」がようやく出版される。
その後もアガサは精力的に執筆活動を続け、失踪事件が起きた1926年までに6冊もの推理小説が出版されていた。
ここまでのアガサの半生をみると順風満帆のように思える。しかし、その内実は決して幸せなものではなかった。
アガサが創作活動に没頭していく中、アーチボルトはアガサに対し、やっかみとも思える複雑な思いを抱えていた。
フランスから帰国後、アーチボルトは軍隊を辞め、ビジネスマンとしての成功を目指すようになるのだが、職を得てもすぐに失職し、無職の時期が続いていた。
当初、アーチボルトは家計の足しにもなる創作活動を奨励していたのだが、アガサが何冊かの本を出すようになると、その活躍に嫉妬したのか、就職できない挫折感をアガサにぶつけるようになっていった。
アガサとしても、まだ作家として成功しているとは言えず、創作活動と苦しい家庭のやりくり、さらに子供の面倒もみなければならず、大変な事に変わりはなかった。アガサはアーチボルトの言葉に傷ついていく。
それでも、アガサはアーチボルトの挫折感を少しでも晴らしてあげられるのではないかと考え、アーチボルトにゴルフを教えた。しかし、アガサはこのことを終生にわたって後悔することになる。
アーチボルトはゴルフを気に入り、盛んにゴルフ場に出入りするようになるのだが、そこで出会った女性ナンシー・ニールに惹かれ、隠れて逢瀬を重ねるようになってしまう。
アーチボルトはアガサに対し、次第に冷たい態度を取るようになっていく。アーチボルトに愛人がいることに、アガサはまだ気づいていなかたったが、夫の態度はアガサを孤独感にさいなませた。
そんな状況の中、母のクララが気管支炎をこじらせ亡くなってしまう。一番の心の支えだった母の死は、アガサをさらに深い孤独に追いこんでいった。
そこに、アーチボルトの一言が追い打ちをかける。アーチボルトはナンシー・ニールと結婚したいので離婚してくれないかとアガサに申し出たのだ。
母の死の悲しみがまだ癒えていない中でのこの申し出は、アガサに凄まじいショックを与えた。アガサはアーチボルトの態度の変化にもかかわらず、夫を愛し続けていた。
アガサは冷却期間を置きつつ、なんとか関係の修復を図ろうとしたのだが、もはやアーチボルトの心はナンシー・ニールの元から動きそうもなかった。
それが決定的になった時に、アガサは失踪したのであった。