アガサが12才の時に、11才歳の離れた姉のマッジが結婚する。マッジの結婚相手の妹、つまり義姉となったナン・ワッツはアガサの生涯にわたる友人となった。
1909年、インフルエンザが直ったばかりで何もやることがなかったある日、アガサは母の勧めで小説を書き始め、「砂漠の雪」を完成させる。
このころにはパーティーに顔を出すまでに、社交的な面も身につけており、20才を迎えた頃には、アガサの元には多くの求婚者が現れるようになっていた。
1912年、あるパーティーでアガサはアーチボルト・クリスティーと言う名の空軍将校と出会う。アーチボルトはハンサムで社交的な性格の持ち主だった。
聡明だけど控えめアガサと自由で行動力に溢れるアーチボルトは、お互いにない部分を求めるかのように、惹かれ合っていく。
1914年、アガサ24才の時に二人は結婚した。
結婚後まもなく、アーチボルトはフランスに出征することになる。寂しさを紛らわすためか、この頃のアガサは数多くの推理小説を読みふけるようになった。
一方でアガサは、夫の収入だけでは家計が苦しかったこともあり、赤十字の看護師として働くようになる。病院勤めをしながら勉強し、薬剤師の資格を得る。
この頃からアガサは推理小説の創作活動を開始し、彼女のデビュー作で、エルキュール・ポアロの初登場作ともなった「スタイルズ荘の怪事件」を書き始めている。この作品で薬剤師としての知識が存分に発揮されることになる。
アガサが推理小説を書き始めたのには理由があった。そこには姉に対する複雑な思いが関係していた。
姉のマッジは文才に優れ、短編小説が幾度も雑誌に掲載されていた。そして、美しく社交的で、誰からも好かれる存在だった。
人前に出る事が苦手で、小説もことごとく出版社に掲載を断れていたアガサは、自分とは対照的な姉に羨望を抱き、同時に嫉妬し続けていた。
そんな姉と推理小説の話題になった際に、マッジから「あなたに良い推理小説なんか書けるわけないわ」と言われていた。そんな姉を見返してやりたいという想いがアガサの胸の内にあったのである。