1847年の春、出発から丸2が経過した。フランクリン隊の予定遠征期間は2年であったため、イギリス国民から安否を気遣う声が出始めた。
しかし、国の威信をかけたフランクリン隊に、そうやすやすと捜索隊を送ることは避けたいとする思惑もあったため、海軍省は動かなかった。
「フランクリン隊は3年分の食料を積んで航行しているので、心配する必要はない。今年の秋頃にはパフィン湾を通って帰国の途についている船が、捕鯨船によって目撃されるだろう」
国民を安心させるため、海軍省からそんな説明が出された。
しかし、1847年が過ぎ、1848年に入っても、フランクリン隊帰還の報告はもたらされなかった。
次第に新聞などでも、フランクリン隊は失踪してしまったのではないかとする意見が出始める。
フランクリン隊の遠征は順調であると固くなに信じていた海軍省内部にも、不安が広がっていった。3年分の食料がもう底をつく時期にさしかかっていたのだ。
海軍省もついに捜索隊を送ることを決定する。あくまでも物資の補給という名目で、2隻の船が派遣されることになった。
補給隊はランカスター海峡をくまなく捜索したが、フランクリン隊を発見することは出来なかった。