北西航路の完成を目指し、大がかりな準備が急ピッチで進行した。
フランクリンが指揮する軍艦はエリバス号(地獄の意)とテラー号(恐怖の意)の2隻。どちらも不吉な名前を冠する船だが、あえて怖ろしい名前を付けることで、それらを払拭しようとする意図で付けられた名前だった。
しかも、2つの軍艦は1830年代に行われた南極探検で成果を収めることに成功した頑強な船である。今回の遠征にはうってつけの船だった。
整備作業は2ヶ月にわたって行われ、当時最新の技術であった缶詰など、3年分もの物資が次々と船に納入された。
1845年5月19日の朝、悲願達成を約束されたエリバス号とテラー号は、大勢の国民に見送られるなか、輸送船を引き連れ出港した。
7月初旬、フランクリン隊はディスコ島に寄港する。ここで輸送船に積まれていた物資がエリバス号とテラー号に振り分けられた。
輸送船の役目はここまでだった。同船の船長は北西航路の発見に向けて、日に日に士気が高まっていくフランクリン隊から離れることに名残惜しさを感じながら、帰国の途についた。
フランクリン隊はパフィン湾を通過し、ランカスター海峡の入り口に到着する。ここからが北西航路の本番、数々の探検隊の行く手を阻んだ難所がいくつも待ち受ける海域への入り口である。
その海峡の入り口で、隊はイギリス籍の捕鯨船と遭遇している。数ヶ月後に帰国した捕鯨船の船員によって、フランクリン隊との遭遇の報告がもたらされた。
フランクリン隊がランカスター海峡に入ったことはすぐにイギリス中で報道され、北西航路発見への期待はさらに高まった。だれもが偉業を成し遂げ帰国するものだろうと信じていた。
しかし、これがフランクリン隊が目撃された最後だった。これ以降、フランクリン隊の消息は完全に途絶えてしまう。