この決断をさせた背景には、もう一つ理由があった。もはやジョージからの攻撃は、キャロラインがイギリスのどこにいようが、加えられる状況になっていた。
それに、ジョージ3世が心を失ったことで、キャロラインに味方しようとする人間は今や改革派のホイッグ党の議員とごく少数の友人だけになっていた。
このころイギリスはナポレオン戦争でフランスを打ち破っているが、キャロラインはその戦勝祝いの場に立ち入りを禁じられるまでになっていた。
皇太子妃でありながらこれほどまでに虐げられて生活するのはもはや限界だった。キャロラインは二度とイギリスには戻らない決意まで固めていた。
キャロラインのこの申し出をジョージも了承し、議会でも承認されることになった。
キャロラインがイギリスを立つ直前、シャーロットがキャロラインの元を訪れ、二人は別れを惜しんだ。
二人は、いつかまた会える日が来る事を望んでいたことであろう。しかし、これが母と娘の生涯の別れとなった。
シャーロットはその後、1816年にプロイセンの公子レオポルドと結婚する。今回はシャーロット自らが選んだ結婚相手であった。
レオポルドもシャーロットに惹かれていた。いまだ政略結婚が行われることも多かった王室においては、幸運な結婚であった。
この婚姻は、ジョージが摂政に即位してからというもの、暗い話題しか無かった王室で久方ぶりの明るいニュースとなった。