フランスの事件から15ヶ月が経過した1997年3月20日、カナダのケベック州にある人口2000人にも満たない小さな村、セント・カシミール村で一軒の家が爆発し、全焼した家の中から5名の太陽寺院の信者たちの焼死体が発見された。
死亡した5名のうち4名の死体は十字架のような形に配置されており、家の裏手にある小屋からは、薬物で中毒症状に陥っている10代の子供3名が発見された。彼等は家の中で死亡した一組の夫婦の子供たちであった。
回復した子供達が語ったところによると、彼等を含む8名は、小屋で自殺しようと爆破装置を用意し、鎮静剤を飲んでその時を待ったのだが、爆破装置は作動しなかった。
再度装置をしかけ直し、その瞬間を待っている最中に子供達は死を恐れるようになっていた。
親たちに自殺を辞めるよう説得を試みるが、大人たちの決心は固く、子供達だけ外に出る許可を与えられた。
子供たちは小屋に避難したところで薬物の中毒症状に陥り気を失ったのであった。
スイスで2箇所、それにフランスとカナダの事件を加え、これで計5件の集団死亡事件が起き、74名の人々が死亡することとなった。
全てが終わったかに思われていた事件がいまだ終わっていなかったことが、ヨーロッパを戦慄させ、不可解な謎を残すことになった。
ディ・マンブロやジュレが死亡したことは間違いようのない事実であり、教団の欺瞞が明らかになったあとで、どうして彼等がこのような形で死ぬことになったのか、その不可解さがヨーロッパに再び戦慄を走らせることになったのである。