彼等はなぜこのような最後を迎えることになったのだろうか?
考えられることはふたつ、口封じの目的で殺害された可能性、もうひとつは、いまだ教団の教えを信じていた人々による後追い自殺だった可能性である。
前者の可能性は、指導者たちが死亡したあとで隠し事をする必要など無いように思えるため、事件を面白く解釈した通俗的な話に過ぎないようにも思える。
だが、1995年にフランスで起きた事件が発覚した当初から、口封じのために殺されたのだとする見方は盛んに取り沙汰されており、そこには妙な信憑性も伺えるのだ。
1995年のフランスで死んだ人物の中には、一連の事件の中で重要な役割を果たしていたと思われる人物なども含まれていた。
例えばヴュアルネの息子パトリックは、マスコミなどに送られてきた封書を投函したと目されていた人物であった。
また、今回の事件の実行者と考えられた刑事のランダルシェは、シェリー村の事件直後に車で現場から走りさる姿を目撃されていた人物であった。
また、最初の事件であるシェリー村の惨劇が起きる直前に、ランダルシェから銃器の調達や殺人を実行できる人物についての相談を受けたと述べている証人もおり、ランダルシェは教団の暗部で活動していた人間であった可能性は高いと考えられていた。
二人は警察から重要参考人として取り調べなども受けていたが、徹底して関与は否定しつづけていた。
彼等が一連の事件について、何かしら知っていた可能性は十二分にあったのである。だが、フランスで起きた事件によって、その可能性は完全に失われてしまった。
また、「太陽寺院」事態にも、いまだ明らかになっていない謎の部分が多く残されていた。
教団は相当な資産を持っておりその運用に失敗したと述べたが、前述した不審な資金移動の他にどれだけの資産をもっており、それがどのように流れていたのかは不明な点が多いのである。
スイス銀行の秘密保持の伝統に遮られ、その全容をつかむことは出来ないのだ。
また、テンプル騎士団や薔薇十字団の思想を受け継ぐ秘密結社的な組織との関わりも見てきたが、「太陽寺院」が設立された後に、これらの組織とどのような関係を持っていたのかについてもよくわかっていない。