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太陽寺院事件ーリュック・ジュレ

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太陽寺院事件ーリュック・ジュレ

ジュレは1947年、当時ベルギー領であったコンゴに生まれた。幼い頃は、体は弱かったものの、愛嬌のある負けず嫌いな子供であった。

両親の祖国ベルギーに戻ったことで体質が改善されたのか、体も強くなりスポーツなどに汗を流す学校生活をおくるようになる。さらに、高校卒業後には軍隊への入隊を志願し、パラシュート部隊として戦地にも赴いている。

退役後、大学に進学したジュレは医学を学び、卒業後は産婦人科医として働き出すが、その一報で同種療法、いわゆるホメオパシーの医師としての活動も始める。

当時の70年代は、ニューエイジ運動真っ盛りのころであり、ジュレもインドをはじめとするアジアの各地を転々としては、精神世界へと傾倒していった。

帰国したジュレは、ホメオパシーに専念することを決め、田舎町に小さな診療所を開設した。

ジュレはここを拠点として、医師としての活動の他にも、西洋医学批判をテーマにした講演なども行っており、その弁舌の巧みさとハンサムな容貌もあって人気を集めるようになる。

この頃のジュレはテンプル騎士団の神秘性にも惹かれており、「革新テンプル団」でも活動を行っていた。ここで、ディ・マンブロと出会うことになったのである。

ディ・マンブロはジュレが講演を行っている様子を見て、すぐにジュレが特別なカリスマ性を持つ人間であることを見抜き、教団の顔としてジュレを立てることを決め、接触を図った。

ディ・マンブロの申し出はジュレにとっても悪い話ではなかった。ジュレは聴衆を前に話すことを大の得意としており、自分にはカリスマ性があることを自覚してもいた。

こうして、教団の顔となる人間をも取り込むことに成功したディ・マンブロはさらに教団の規模拡大を目指し、「革新テンプル騎士団」の乗っ取りを画策するようになる。

当時「革新テンプル騎士団」をまとめていたのはジュリアン・オリガスという名の元ナチス秘密警察の将校というふれこみの男であった。

だが、彼は末期のガンを患っており、余命いくばくも無い状況であった。これに目を付けたディ・マンブロは、オリガスを言葉巧みに丸め込み、ジュレを後継者に使命することに同意させた。

こうしてジュレの信奉者や「革命テンプル騎士団」を取り込んだ「黄金の道教会」は、数百名の信者を抱える教団となり、名称を「太陽伝説国際騎士団」、通称「太陽寺院」に変更する。

こうして、多くの人間を死の旅路にいざなうことになる教団が誕生したのであった。

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