教団を裏切った人間への制裁を経て、指導者たちは計画の最終段階に入った。
1994年10月4日、スイスのシェリー村で儀式が執り行われていた。
その最中に振る舞われた鎮静剤入りのシャンパンを飲んだ信者達は、次々に意識を失っていく。そうした信者達ひとりひとりを暗殺部隊の最後のひとりエジュールが銃で撃ち殺していった。
シェリー村の農園が爆破されるのはこの翌日のことである。あの爆発が起きる1日前に信者達は殺害されていたのであった。
この頃の教団では盛んに「死への旅」というテーマの説法が繰り返されていたが、信者達のほとんどは死を受け入れていたわけではなかった。多くの信者はまさかそれが本当の死を意味するものだとは思っていなかったのだ。
普段行われていたのと変わらない儀式に参加するつもりでシェリー村に訪れた23人の信者たちは、突如意識を失うことになり、指導者たちが破滅の中で選択した本当の死の旅路に、強制的に同行させられるはめになったのである。
その翌日、ジュレとディ・マンブロはカナダから帰国し、その足でまだ教団を信奉し続けている人々を引き連れて、サルヴァン村にやってきていた。
ここの信者の多くは、シェリー村とは反対にその多くが既に死を受け入れている熱狂的な信者達であった。
彼等は食べ物やワインなどを買い込み、小屋で会食を行った。その後ジュレとディ・マンブロは車でシェリー村に移動する。おそらくここで計画が確実に実行されているかどうか、その目で確認したのだろう。しばらくして、二人は再びサルヴァン村へと戻った。
そして、ディ・マンブロとジュレをはじめとする幹部達はモルヒネを混ぜた毒薬を飲んだ。他の信者達は鎮静剤で昏睡状態にあるなかで焼死するという、ともすればすさまじい苦痛を伴う最期を向かえようとするなか、指導者たちは苦しみのない方法で既に死んでいたのである。
そして、シェリー村とサルヴァン村で爆発が起きたのであった。
見てきたように「太陽寺院」は、ディ・マンブロが自らの欲望や野心を充足させるために生み出された教団であったが、ジュレの加入や富裕層をターゲットにした信者獲得方法が功を奏し、その目的は達成されていたことであろう。
しかし、終末思想を説く教団の性格や信者に対する欺瞞が露見したことや金銭問題、ディ・マンブロが末期のガンに冒されていたことなど様々な要因から崩壊の道を辿っていくことになった。
つまり、本事件はディ・マンブロとジュレが教団の運営に失敗し、終末論的な教義を実行に移すしかなくなり、そこに多くの信者が強制的に道連れにされてしまった事件だと考えられているのである。
事件に一定の解釈が与えられたことで、ヨーロッパをはじめとする欧米諸国を激震させた事件も次第にマスコミで取り上げられることもなくなっていった。
こうして、すでに事件が過去のものとなりつつあるなか、ふたたび「太陽寺院」の名が繰り返しニュースで語られる事態となる。