こうした実験結果や分析は、ジェノヴィーズ事件の状況とも符合するものであった。
ジェノヴィーズが最初に悲鳴を上げた時、マンションから顔を出したのは1人の人間で、この人物はモースリーに警告を与えているが、ジェノヴィーズが2回目に叫んだ時は、何人もの人間が窓から顔を出し、事態を確認しているたのに、この時は誰もモースリーを追い払おうとするなどの行動を起こさなかった。
2回目にジェノヴィーズが叫んだ時の目撃者達は、自分以外にも多数の目撃者がいたことに気づいていた。ここで「傍観者効果」が働いていたと考えられるのである。
そもそも、危機的状況というのは、それに直面したとしても、どのように対処したら良いか咄嗟には判断できない場合が多い。
往々にして、緊急事態は今まで体験したことがないような事態であることがほとんどだろう。
そうした未知の体験を前にして、人は戸惑ってしまうのが普通で、そうした戸惑いに「傍観者効果」が加わることで、周囲にいる人々は、事件を目撃しても何もしない、傍観者と化してしまうのである。
そして、傍観者の数が多ければ多いほど、「傍観者効果」に影響をうけやすい状況になる。
この実験の結果は、ジェノヴィーズ事件に対する見方を根底から覆すことになった。
つまり、実験は、ジェノヴィーズ事件が「38人もの目撃者がいたのに誰も通報しなかった事件」だったのではなく、「38人もの目撃者がいたために、誰も通報できなかった事件」だったことを示す結果になったのだ。
そして、このことは、誰かが危機的な状況に陥った時に、周囲の人間は救助のために行動を起こすだろうとする、それまで当たり前に考えられていた既成概念すら揺らがすことになった。
実は、モースリーはこうした効果の存在を理解していた節がある。
モースリーは裁判で、ジェノヴィーズが悲鳴を上げ、住民から声を掛けられた際に一旦離れ、再び戻ってきた理由を聞かれ、「住民達が外に出てまで彼女を護ろうとしないことはわかっていた」と答えているのだ。
おそらく、モースリーはこの事件以前に街で人間を襲っている際に、目撃者たちが彼の犯行にとってさほど驚異にならないことを感じとっていた。
だから、大勢の人間に見られていたにもかかわらず、執拗にジェノヴィーズを襲ったのだろう。