クロウハーストが準備を進めていると、次第に報道陣の注目が彼の元に集まるようになった。
強豪ばかりの参加者の中で、素人同然のクロウハーストの参加は興味を持たれるものになっていたのだ。
そんなクロウハーストに彼の出身地タインマウス市の広報担当ロドニー・ホールワースも目をつけた。この果敢な挑戦者の知名度を上げることで、市のPRになると考えたのだ。ホールワースはクロウハーストのエージェントとなり、様々な媒体に彼を売り込んだ。
クロウハーストへの注目はさらに高まった。その実力にかかわらずレースの「ダークホース」として取り上げられるほどの人気を集め、ついにはイギリスの国営放送BBCまでがスポンサーに加わることになった。
そうした宣伝活動に時間を取られる一方、クロウハーストは船の設計に追われていた。クロウハーストは何よりもスピードを優先するため三胴式の帆船にすることに決め、大急ぎで製作が進められた。
ようやく完成した船は、出身地タインマウスの名とクロウハーストの会社エレクトロン・ユーティリゼーションの名を取り、「タインマウス・エレクトロン号」と名付けられた。
タインマウス号はまさにクロウハーストが望んだタイプの船であったが、三胴式の帆船はスピードは出るのだが安定感に欠けた。そのため、出航前にかなり細かい調整が必要とされた。
クロウハーストは調整のための試乗を兼ねた航海に出た。だが、三胴式帆船の弱点である逆風への弱さが裏目に出てしまい、3日間の試乗の予定が帰港するまでに、2週間もかかってしまった。
この頃にはすでにレースの開始日はとうに過ぎ、出航期限の10月31日まで、あと2週間ばかりしか残っていなかった。
大慌ての調整と整備作業が進められ、クロウハーストはどうにか期限最終日に出航出来たのであった。