1795年4月8日、その日イギリスのセント・ジェイムズ宮殿内の王室礼拝堂で、イギリス王家の皇太子ジョージ・オーガスタス・フレデリックとブラウンシュヴァイク(現在のドイツで当時の神聖ローマ帝国の領邦国家の一つ)の王女キャロライン・アミーリア・エリザベスの結婚式が執り行われた。
厳粛な雰囲気に満たされた礼拝堂では、列席した両国の王族の人々や来賓客たちが新郎新婦の登場をいまや遅しと待ちかまえていた。
まず侍女に付き添われた新婦のキャロラインが登場し、次いで新郎のジョージが登場した。しかし、現れたジョージはおよそ結婚式の主役とは思えないような姿で現れ、列席した人々を驚かせた。
ジョージは顔面蒼白で、まるでこの世の終わりかというような陰鬱な表情。そして、まっすぐに歩く事さえおぼつか無いようなフラフラとした足取りで姿を現した。
さらに、式の途中に、ジョージは力なくへたりこみ、両脇を弟たちに支えられ、どうにか式を続けられる状態であった。ジョージは完全な泥酔状態で式に現れたのだ。
新婦のキャロラインは結婚式でのこの新郎のあまりの姿に嘆き悲しんだ。王室の結婚式という荘厳な場で新郎がこのような醜態をさらすなど、長い歴史をもつイギリス王室でも前代未聞のことであった。
後に巻き起こるイギリス王室と国民をも巻き込む大事件を考えると、まさにこの結婚式はその予兆であった。英国王室史上最も嫌われた王と英国王室史上最も虐げられた王妃の物語はこの時から始まったのである。