ジョージ・オーガスタス・フレデリックは1762年、時のイギリス国王ジョージ3世とシャーロット王妃の長男として生まれた。
父のジョージ3世は聡明で偉大な王であった。
政治に関心をしめさなかった先代ジョージ2世と先々代ジョージ1世とは違い(そもそもジョージ1世はハノーヴァー国[現在のドイツ]の王族から招かれてイギリスの王となった人物であったため、二人は英語すらまともに話せなかった)、ジョージ3世は政治にも積極的に関与する王であった。
当時のイギリスは、アメリカの独立戦争やナポレオンによるフランスの台頭など、諸外国との数多くの難題を抱えていたが、それらを上手く乗り切れたのも、ジョージ3世の功績が大きかった。
当時のイギリスは、産業革命のまっただ中にあったが、その立役者である技術者達の地位や身分は低く、貴族や学者などの権威を持つ者からは不当な扱いを受けていた。
ジョージ3世はそんな技術者たちを、彼らこそが次の時代を切り開く主役だとして、積極的にほめ称えた。
こうしたジョージ3世の行動が技術者たちの地位を向上させ、彼らが正当な評価を受けるきっかけとなった。
そして、イギリスは産業革命を成功させ、「世界の工場」として躍進していくのであった。
また、倹約家でもあり、税金でまかなわれる王室費の節制にもつとめ、家族思いの良き夫でもあった。
一介の農夫にまで優しく声を掛ける人柄であったジョージ3世は、「農夫王」と呼ばれ、国民からも慕われていた。
どうにも浮気癖を持つ者が多く、不品行な人間が多かったハノーヴァー家としては、異例の王であった。
そんなジョージ3世は、長男のジョージを強い王に育てようと考え、厳格な教育を行った。しかし、これが裏目に出たのか、ジョージは妙に神経質で潔癖性な人間になっていった。
それに加え、成長するにしたがって、ハノーヴァー家的な気質をも併せもつようになっていった。つまり、女性に対する手癖の悪さが顔を覗かせるようになったのだ。