一方のキャロラインはブラウンシュヴァイクの君主カール・ヴィルヘルムとジョージ3世の姉オーガスタとの3番目の子供として生まれた。
父のカールは武人として名を馳せた人物で、母のオーガスタは「愚か者」と評されることもある、やや知性にかけるところのある人物であった。
キャロラインは幼い頃にその勉学に対する才能を見限られたのか、15歳になるまで英語以外の学問を教えられる機会はあまり与えられず、もっぱら音楽などの勉強に多くの時間を割かれることになった。
その一方で社交的会への参加を禁じられ続け、ようやくパーティーに参加できたのは兄カールの結婚式の時で、キャロラインは23歳になって、ようやく社交界でダンスを踊る機会を与えられたのであった。
このような育てられ方をしたためか、明るく天真爛漫な性格だが、どこか世間知らずなところのある女性として成長していった。
そして、キャロラインが26歳の時に、イギリス王室から声がかかったのであった。
1795年4月5日、キャロラインはイギリスでジョージに謁見することになった。キャロラインにとって大国イギリスで目にするものは母国にはない目新しいものばかりで、とても興味をそそった。
負傷した退役軍人の姿を見かけた時などには、帯同していたイギリス王室の女官ジャージーに「どうしてイギリス人の中には手や足が無い人がいるのですか?」と尋ね、「お願いでございますからご冗談はおやめください」と冷ややかにたしなめられている。
キャロラインはかようなまでに外の世界を知らずに育った箱入り娘であった。