今度はビーチー島での越冬とは違い、周囲に上陸出来そうな島などは無かったため、船上での越冬を余儀なくされた。
当初は船員の誰もが、また暖かくなれば氷が溶け、再び航海を進められるはずだと信じていた。しかし、翌年の春が過ぎて日照時間が格段に増えても、事態は進展しなかった。
眼下に広がるのはどこまでも続く氷に覆われた海だけであった。ただそれを眺めるしかない日々が繰り返された。
幾日も変わることのないその景色は、永久にここに閉じこめられてしまうのではないかという怖ろしい不安を隊員達に抱かせた。2隻の軍艦は氷に閉ざされた監獄と化していた。
さらに、1818年の状況を再現するかのように食料の問題が追い打ちをかける。
今回の遠征では前述した通り、当時の最新技術であった缶詰が大量に納入されていたが、缶の制作業者への発注が遅く、わずかな時間しか制作期間がなかったため、はんだ付けが甘く、缶の中に鉛が溶け出していた。
このため、鉛中毒によって精神に異常をきたす者が出てしまう。さらに、缶詰の中身の納入を任された業者がひどい悪徳業者で、利益をかすめ取るため、缶の中に腐った肉や小石、ゴミまでが混ぜられていた。
3年分のつもりで持ってきた食料は実はもっと少ない量しかなかったのだ。