このように、アガサ自身が記憶喪失だったと述懐していることから、この事件は記憶喪失によって引き起こされたものだと結論することも出来るだろう。
しかし、まだ不可解な点は残る。愛しているアーチボルトの存在すら忘れていたアガサが、「ニール」という夫の愛人の性を使っていたのは、ただの偶然だったのだろうか。
それに、アガサが語るように無意識のうちにハロゲートにたどり着いたにしては、当地は身を隠すにはあまりにうってつけの場所であった。
アガサが滞在していたハイドロ・パシックホテルは上流階級向けの保養地であるハロゲートでも、高級なホテルの一つだった。
当座の資金は持っていたとしても、記憶喪失で自分の預金や収入源のことなどわからない人間であれば、手持ちの資金で長くやりくりできる、もっと安価なホテルを選びそうなものである。
アガサ自身が記憶喪失だと語っているにしても、やはり不可解な点は残るのである。このため、時を経ても自作自演説が後世にわたって囁かれ続けることとなった。
事件発生当時に記者として取材し、後にアガサの友人となったリッチー・コールダーは、「事件にはアガサが作ったシナリオがあった」と述べている。