陸軍が証拠としてあげたものはどれも根拠が薄いものであったのにも関わらず、一方的にドレフュスは有罪とされ、当時の軍事機密の漏洩に対する刑の中でも最も重い刑が宣告された。
反ユダヤ主義的な世論が異様なまでに高まっていたことと、それに追随する報道があまりに加熱したことで、裁判の結果に影響したことが大きかった。
ドレフュス有罪の判決に、適正な裁判が行われたとして保守系新聞からは賞賛の声が上がった。
一部の保守系新聞の中には、この量刑でも満足せず、以前には軍事機密漏洩に対する刑で死刑も存在していたことを紹介し、これを廃止してしまったことに深く後悔すべきであるとまで書き立てるものもあった。
有罪とされたドレフュスは官位剥奪式を経て、悪魔島に送られた。ドレフュスにとってはまるで悪魔のような日々だった。
まるで身に覚えのない事件で有罪とされ、うだるような暑さの絶海の孤島で幽閉されることとなり、今自分の身に何が起きていることがまるで信じられない状態だった。
これから先の一生をここで過ごさねばならないかと思うと気が狂いそうだった。本を読む自由は許可されていたため、趣味であった数学の本を取り寄せ、ただ無心で問題を解くことで、なんとか正気を保っている状態だった。