一方で告発文を掲載したオロール社には反ドレフュス派の人間達が大挙して押しかけた。投石を行い、「売国奴のゾラを出せ」「ゾラの言うとおり裁判にかけろ!」との大合唱が始まった。
この声に押されたのか、政府はゾラを名誉毀損で訴えた。ゾラの裁判ではピカールやルブロア弁護士、アンリなど様々な人間が召喚された。アンリは法廷の席でピカールを侮辱し、あわや殴り合いの喧嘩になる事態となった。
ゾラは裁判中もドレフュスは冤罪であるとする意見を曲げず、「いつの日か私が正しい行動を取ったことを感謝する日がくるだろう」とまで述べた。
結局、ゾラは有罪とされ、3000フランの罰金と1年間の禁固刑を言い渡された。
この裁判結果に、一時はドレフュス擁護に回っていたプチジャーナル紙などは手のひらを返したようにゾラをこき降ろし、ゾラの父親は犯罪者だったとする醜聞をまき散らした。
反ドレフュス派の人々はゾラの裁判中の言動にさらにゾラに憎みを募らせた。ゾラはいつ暗殺されてもおかしくないような危険な状況になった。ドレフュス派の中心メンバーは国外への逃亡をすすめるが、ゾラは「私は逃げない」として意見を変えなかった。
しかし、「ここであなたが収監されれば、事件は全て終わる。あなたが収監されずにいることで、事件は注目を浴び続け、今一度この戦いに再起出来る時が来るはずだ」と説得された。
これには一理あると感じたゾラは、しばらく思案の時を過ごしたあと、戦いを終わらせないためとして亡命を決意した。ゾラはイギリスに渡り亡命生活を始めることとなった。
この裁判で打撃を受けたのはゾラだけではなかった。ピカールは軍籍を剥奪され、ルブロアは弁護士資格を一時停止されることになった。
ピカールは陸軍を去る時に、裁判で侮辱された汚名を晴らすためとして、アンリに決闘を申し出た。アンリは当初はこの決闘を飲まなかったものの、後に渋々この決闘を受け入れた。
ピカールとアンリは剣を交えた。ピカールはアンリにいくつかの傷を負わせ、この決闘はピカールが勝利を治めた。