1899年6月、ドレフュスに対する過去の判決は無効とされ、軍事裁判による再審が決定された。
ドレフュスは裁判のため、5年ぶりに祖国の土を踏むことになった。ドレフュスの帰国に多くの報道陣があつまったが、ドレフュスの姿をみてみな驚いた。
当時、ドレフュスまだ39歳であったが、髪は白く染まり、やつれ果てたその姿はまるで老人のようであった。
悪魔島でどれほどの絶望を味わったのかを推測させる姿であった。
8月7日、ついにドレフュス事件の再審が始まった。ヨーロッパ中の記者が押し寄せた。その中にはエミール・ゾラの姿もあった。ゾラも裁判に合わせて帰国したのであった。
裁判は終始陸軍に有利な状況が続いた。アンリの自白など、不利な状況にいるはずの陸軍が裁判を有利に進められたのにはわけがあった。
裁判の2ヶ月前に再審を表明したルペール大統領が暴漢に襲われ負傷する事件が起きていた。さらに、裁判の関係者には反ドレフュス派からの相当な圧力がかけられていたのである。
圧力はこれだけではなかった。裁判の渦中でドレフュス側の弁護士ラベリが銃撃される事件まで起きた。ラベリ弁護士が重要な答弁を行う前日のことであった。
それでも裁判は延期されることなく行われた。法廷は反ドレフュス派の暴力によって完全に支配されていた。
それでもドレフュスの弁護士たちは様々な証拠を提示し、無罪を訴え続けた。対する陸軍は最初の裁判と同様の証言を繰り返しただけであった。
9月8日、判決が出された。ドレフュスは有罪を宣告され、国家反逆の罪で10年の禁固刑とされた。