1955年11月1日、アメリカ、コロラド州にあるデンバー空港の管制塔職員がオレゴン州のポートランドに向けて飛び立ったユナイテッド航空629便の姿を見守っていた。
すると、上昇途中にあった同機は突如強い光を発し、爆発炎上した。バラバラになった機体は地面に落下していった。救急隊がすぐに派遣されたが、乗客39名と乗員5名、搭乗者全員の死亡が確認された。
機体は尾翼以外のほとんどの部分が砕け散るほどの衝撃で破壊されていた。それは相当な爆発があったことを物語っていた。
当初はエンジントラブルや操作ミスが招いた事故の可能性などが疑われた。しかし、調査の結果、不審な点があることが判明した。通常、事故での爆発の場合、エンジンタンクが爆発する例が多いのだが、爆発は貨物室で起きたことが明らかになったのだ。
さらに、周囲に飛散していた科学物質を分析したところ、爆発は大量のダイナマイトによって引き起こされたものであることも判明した。つまり、ユナイテッド航空629便は故意に爆破されていたのだ。
当時は朝鮮戦争が終結してまだ間もない頃で、東西の冷戦構造が浮き彫りになっていく渦中の事でもあった。そのため、航空機を狙った政治的な爆破テロ事件の可能性も疑われ、新聞・TVなどは騒然となった。
事件の大きさから捜査はFBIの手に委ねられた。さらに詳しく貨物室の状況を調べてみると、爆発したのはデイジー・キングという名の女性の荷物であることがわかった。
すぐに、デイジー・キングの政治信条などを含む、身辺調査が徹底的に行われた。しかし、怪しい点は発見されなかった。デイジーは裕福な身分の女性で、アラスカに住む娘の元を訪れるために同機に搭乗していただけだった。
娘の元に向かったデイジーの荷物になぜ爆発物が入れられていたのか、不明なことだらけだった。
FBIはデイジーの家族についても調査範囲を広げた。するとデイジーの実の息子ジャック・グラハムに詐欺の前歴があったことがわかった。
4年前までグラハムは機械工として働いていたが、その当時、横領の容疑で逮捕されていた。また、グラハムは空港にデイジーを見送りに来ていて、大きなスーツケースをデイジーに渡しているところも目撃されていた。
これらの情報をもとにFBIはジョン・グラハムを逮捕した。グラハムは母にスーツケースを渡したことを認めたが、爆発物などは渡してないとして犯行を否定した。
しかし、彼の家にあった車の修理部品と同じものが爆発物の部品に使われていた事実を突きつけられると、犯行を自供した。
グラハムは横領事件の弁済金2,000ドルを母親に肩代わりしてもらっていた。そして、その返済のため、母親はドライブ・インを買い取り、その経営を任せることにした。
しかし、経営はすぐに行き詰まり、グラハムは借金で首が回らなくなる。母親との仲も険悪な状態になっていった。
金に困ったグラハムは、保険金目当てでドライブ・インに自ら放火するが失敗する。次に自分の車を使って事故を偽装し、保険金を得ようとするが、これも失敗する。
借金の返済猶予が迫るなか、度々訪れては口やかましくグラハムを叱りつけるデイジーの存在に耐えられなくなっていく。そこでグラハムはこの2つの問題を解決するべく、犯行を思いつく。
グラハムは母親が搭乗する直前に空港で37,500ドル相当の保険をかけ、時限式の起爆装置がついたダイナマイト26本が入れられたスーツケースをクリスマスプレゼントだと称して母親に手渡した。
プレゼントの中身は確認される時間もなく、貨物室に入れられた。そして、グラハムの設定したとおりにダイナマイトは爆発し、ユナイテッド629便を粉々に破壊した。
口うるさい母親を殺害して保険金を得るために、44人もの人間が巻き添えにされたのであった。
事件の翌年から裁判が始まったが、事件が注目を集めていたことから、アメリカの刑事裁判史上初めて、TVカメラが持ち込まれる中での裁判となった。
裁判は検察に圧倒的に優位な状況であったが、一つだけ問題を抱えていた。実は当時の連邦法には、航空機の爆破に関する記述は存在しなかったため、何の罪状で起訴するかが問題になっていたのだ。
結局、検事は44人もの死者を出した事件にもかかわらず、裁判を迅速に集結させることを優先させ、デイジー殺害に関する第一級殺人容疑のみで起訴を行うことになった。
グラハムは裁判が始まると、告白を撤回し、無実を主張し始めた。しかし、検察はグラハムの犯行であることを裏付ける大量の証拠を握っていたため、着実に有罪に追い込んでいった。
裁判の期間中、グラハムは収監されていたが、自殺を試みて失敗する。以後は24時間の監視が付くようになった。
グラハムはデイジー殺害に関する第一級殺人の罪で有罪とされ、死刑判決が下された。1951年1月11日、ガス室でグラハムの死刑が執行された。
保険金目当てで多くの犠牲者を出した事件だったが、保険証書にデイジーの署名がなかったことから、犯行が露見する以前に保険は無効とされていた。
グラハムは死刑の直前に受けたインタビューでこう話している。
「私が事件について本当に自責の念に駆られない限り、被害者の魂は救われないだろう。でも、誰しもがそうするように、私は目の前にあったチャンスをただ実行に移しただけなんだ」