翌1819年、海軍省は傷ついた威信を取り戻すべく、再び探検隊を組織する。今回は北西航路に重点が絞られ、2つの隊が組織された。
前回の北極点探険隊で副指揮官を務めたフランクリン率いる陸路隊と北西航路の探険で同じく副指揮官を務めたウィリアム・パリー率いる海路隊である。
陸路隊の目的は、北西航路と接するカナダの北岸地帯を徒歩で探索することで、同地域を地理的に明らかにすることにあった。しかし、この陸路での探険はあまりにも、過酷なものであった。
氷と雪が織りなす白く美しい景色とは裏腹に、怖ろしいまでの寒さと雪に覆われた大地を踏みしめて進む困難さが、フランクリン隊を執拗なまでに苦しめた。
1821年、2年の歳月をかけ、ようやくフランクリン隊は、カナダ北東部のハドソン湾西岸から、折り返し地点となるカナダ北岸地域の中央付近に位置するコパーマイン河の河口に到達する。ここからは北極海沿岸を探索し、帰路に向かうのだが、その途中で大問題が発生する。食料の補給が途絶えてしまったのだ。
食料を供給するはずの商社2社がその栄誉を争って対立したことで、食料の輸送が行われなくなってしまったのだった。
隊はひどい飢えに襲われた。雪原にかろうじて生えている生の苔類や革製のブーツまで口に入れるしかない状況に陥ってしまう。
あまりの過酷な状況に精神がおかしくなり、泣きわめくものや獣が食べ残した骨にかじりつくものが続出し、何人もの隊員が命を落とした。