焦りを募らせた海軍省は、一挙に11隻もの捜索隊を派遣することを決定する。
必勝体制で臨んだ捜索だが、ウェリントン海峡に浮かぶ小島で、フランクリン隊のものと思われる足跡とキャンプの痕跡を発見したぐらいで、大きな成果は収められなかった。
その後も、何度も捜索隊が派遣されるが、フランクリン隊の消息はつかめなかった。
食料面から考えても、フランクリン隊がイヌイットの仲間入りでもしていない限り、彼等が生存している可能性は残されていない状況だった。
度重なる捜索隊の派遣は財政を圧迫し続けていた。これ以上の捜索隊の派遣には賛同出来ないとする世論が多くを占めるようになっていた。
さらに、1853年からクリミア戦争が勃発したこともあり、状況的にも捜索を継続することは難しくなる。1854年、海軍省はフランクリン隊の捜索を断念することを決定した。
この決定にジェインは激しく憤りを募らせた。誰かに頼るのをやめ、自ら捜索隊を組織するため奔走するようになる。