「薔薇十字」を解説するにあたり、まずは11世紀~12世紀の「十字軍の遠征」と「テンプル騎士団」を確認しておきたい。
十字軍は当時イスラム教国に占領されていたキリスト教の聖地エルサレム(イスラム教にとっても聖地である)を奪還するために組織された遠征軍であった。
第1回の十字軍の遠征でエルサレムの奪還に成功するのだが、周囲はイスラム教国ばかりであり、この地を巡礼しようとするキリスト教徒は相当な危険を覚悟して旅に出なければならなかった。
こうした問題を解決するため、「テンプル騎士団」という自警団が生まれた。
テンプル騎士団は僧侶のように清貧を旨とした生活を送り、巡礼者が危機にさらされれば身を投げ打ってでも敵と戦うという、聖職者的な行動規範と騎士としての勇猛さを併せ持つ存在であった。
その武勇は伝説的なほどで、彼等はキリスト教徒にとって、いわばヒーロー的な存在になっていく。
最初はわずか10名ほどで始まった騎士団であったが、次第にその数を増やしていき、貴族や王族からの土地や資金の寄進、教皇から特権的地位を与えられたことで次第に団員が増えていき、最盛期には2万人を抱える強大な軍事組織となっていく。
テンプル騎士団はヨーロッパに広く分散し、交易の警護も担うようになっていく。それはヨーロッパの交易を活性化させる一因にもなったという。
だが、テンプル騎士団の守護があったとしても、巡礼者には解消されない悩みが残されていた。
それは巡礼に出ている間、財産の保管をどうすべきかという問題である。
当時はまだ銀行などの資産を預ける機関が存在しておらず、多くの財産を持つ者が巡礼の旅に出ることは難しかったのである。
そこで、テンプル騎士団は巡礼者の財産を一時的に預かり、巡礼が終わった際にそれを返却するという業務を始めることになった。
資産を預ける機関が無い時代だったにも関わらず、多くの巡礼者がこの制度を利用した。
テンプル騎士団は聖職者としての顔も持つ組織である。だまし取られるような危険は皆無であり、巡礼者たちは安心して財産を預けることが出来たのである。
貴族や王族の寄進やこうした銀行業的な役割も担うようになり、テンプル騎士団は軍事力だけでなく莫大な資金力をもつ組織となった。その規模は当時のヨーロッパの一国にすら匹敵するものであったという。
その後、テンプル騎士団は十字軍の数次にわたる遠征隊にも参加し、その軍事力から大いに貢献するが、12世紀末に十字軍はイスラム教国の英雄サラディンに破れ、エルサレムを奪われてしまう。
それ以後は十字軍のエルサレム遠征は途絶えることになった。テンプル騎士団は巡礼者の守護や軍事組織としての役割を終え、金融組織としての役割だけが残ることになった。
そして、莫大な資金を貴族や国家などに貸し出すようになり、フランスなどの国家の財政難を幾度も救うまでの存在になっていく。
だが、「清貧を旨とするキリスト教徒の守護者」という設立当初の規範を完全に失い、単なる金融業者と化したテンプル騎士団は、英雄的な見方はされなくなり、その威信は地に落ちることとなった。