アメリカでは一年の内で最も暑い時期を「ドッグ・デイズ」と表現するが、1892年8月4日は、まさにその表現がぴったりと合う、うだるような酷暑の日だった。現にその年の最高気温を記録した日であった。
そして、後に「伝説の事件」と呼ばれるほどの殺人事件がこの日発生する事になる。
マサチューセッツ州フォールリバー。当時、州でも3番目の大きさを持っていたこの町にボーデン家の邸宅があった。
ボーデン家の主アンドリュー・ボーデンは親の代から続く葬儀社の事業を拡大させ、銀行業など様々な事業も行う、フォールリバーでも有数の事業家だった。後妻のアビーと前妻との間の子供達、長女のエマと次女リジーの一家4人で暮らしていた。
8月4日、朝7時、すでに気温は30度に近かった。ボーデン夫妻と前妻の兄ジョン・モースの3人は朝食を共にしていたが、ボーデン夫妻は吐き気と腹痛に襲われており元気のない様子だった。
メイドのブリジェット・サリバンは家の窓ふきを命じられていたが、彼女も体調を崩していて、思うままに作業を続けられない状況にあった。
長女のエマは泊まりがけで外出しており、その日は家にいなかった。次女のリジーは自室でまだ寝ていた。