ルチアーノは禁酒法制定当時、まだ小さなギャング団のボスに過ぎなかった。禁酒法が制定されるとすぐに、そこに莫大な儲けを生む源泉があることを嗅ぎつけ、酒の密売に参入を図っていた。
マフィア達の多くは、酒であればどんなものでも売れるだろうとふんで、質を問わずかき集めていたが、ルチアーノは違った。質の高いウィスキーだけに焦点を絞って手に入れ、販売先を富裕層に絞ったのだ。この戦略は的中し、ルチアーノに莫大な収益をもたらせた。
ルチアーノはもう一つ大きな資金源となる事業の開拓に成功する。それは独自の手法を用いた賭博であった。
なかでも、ルチアーノの幼少の頃からの友人で、腹心でもあったマイヤー・ランスキー(「オークス事件」で関与を噂された男だ)が編み出した「ナンバーズ」というギャンブルは、凄まじいまでの収益を生むものとなった。
「ナンバーズ」は000から999までの1000個の数字から当選数字を当てるギャンブルで、数字は平均株価の下3桁など、操作ができない公平性の高い数字が使われた。
当たれば掛金の400倍が賭主の手元に入るが、実際の掛け率は1000倍のため、胴元に着実に多くの資金が残る仕組みだった。
これが貧しい物から金持ちまで、多くの人間を虜にし、莫大な収益を生んだ。ランスキーは数字にたいしてずば抜けて強く、「ナンバーズ」の仕組みもわずか一晩で編み出しと言われている。
ランスキーの他にもルチアーノの配下には錚々たる顔ぶれのマフィアたちがいた。
天才的な策士で、後に「暗黒街の首相」と呼ばれるフランク・コステロ、“狂人”とあだ名される程の荒っぽさを持ち、後にラスベガスの設立に関わるベンジャミン・“バグジー”・シーゲル、麻薬で莫大な収益を上げ、映画「ゴッド・ファーザー」のドン・コルレオーネのモデルとなったヴィト・ジェノヴェーゼなど、マフィア史を紐解けば必ずと言って良いほど登場するような優れた構成員(モブスターズ)を抱えていた。