一方イギリス本国では、ある悲報によって、国民達が深い悲しみに暮れていた。シャーロットが死亡したのだ。
1817年11月5日シャーロットは長い陣痛の果てに男児を死産すると、その日の夜に、体調が急変し、子供の後を追うようにシャーロットもこの世を去ったのであった。
このニュースにイギリス国民は失意に打ちひしがれた。聡明なシャーロットの存在はイギリス王室に残された数少ない希望であった。
その希望を失ったことでイギリス中の家庭は我が子を失ったかのような悲しみにくれ、ありとあらゆる娯楽施設は店を閉め、いかなる行事も中止されることになった。
「イギリス王室でこれほどまでにその死を惜しまれた人物がいただろうか」新聞にそのような社説が記されるほどであった。
シャーロット死去の知らせがキャロラインの元に入ったのは、11月も終わりに差し掛かったころであった。
自分の居場所を失い、プライドさえズタズタにされていたキャロラインにとって、シャーロットの存在はもはや唯一の生き甲斐といえるほどの存在であった。
この知らせを受け取ったキャロラインは深い悲しみに暮れた。そして長く喪に服したあと、あることを決意する。イギリスに帰国し、イギリス王室から自分を追い落とそうとする人間たちと戦うことを心に決めたのであった。