19世紀、人類未到の地であった北西航路の探険に挑んだフランクリン探検隊が失踪した事件。
やがて明らかになった探検隊が辿った壮絶な末路はヨーロッパ中の人々に大きな衝撃を与えた。
19世紀、産業革命に代表される科学技術の発達は、人類がそれまで未開拓だった場所への到達を可能にした。しかし、依然として謎に包まれた地域も残されていた。
その中でもヨーロッパで高い関心を集めていたのが、北西航路と北極点だった。
北西航路とは、太平洋から北アメリカ大陸の北に位置するカナダ北極諸島を抜けて、大西洋へとつながるルートで、ヨーロッパからアジアへ至る最短の航路となるため、16世紀ごろから高い関心を集め、その開拓に多くの探検家が挑んでいた。
しかし、北極諸島が作り出す複雑な海岸線と1年の内8ヶ月は氷によって閉ざされる厳しい環境のため、3世紀が経過した19世紀になっても、北西航路はいまだ発見されていなかった。
19世紀初頭の地図では、北西航路の海域は想像や空白で埋められていた。そこには一体何があるのか、探検家から市民に至るまで、多くの人々にロマンを抱かせていた。
北極点もいまだ人類が到達していない空白の場所として、多くの関心を集めていた。
当時はまだ、北極点には巨大な穴が開いているのではないかとする説も有力視されるほどで、地球の北限の姿について、様々な空想や議論を呼んでいた。