こうした話を耳にしても、警察は困惑するばかりだった。仮に恐怖感を持ったとしても、目撃者たちはモースリーがジェノヴィーズに危害を加えている現場に直接居合わせたわけではない。彼等は安全な自分の部屋の中から事件を目撃していたのだ。
ただ警察に一本連絡を入れるだけなのに、それをしなかったのはあまりにも不可解であった。
この事件を最初に「特別な事件」として取り上げたのは、ニューヨークタイムズだった。記事では事件の状況が細部にわたって記され、「なぜ誰も通報しなかったのか?」という疑問が読者に投げかけられた。
この記事は読者からの大きな反響を巻き起こし、多くの投書が寄せられた。その内容は大きくわけて二つの意見を持つものだった。
一つは警察を批判するもので、警察がもっとしっかりパトロールを行っていれば、事件は未然に防げたとする意見であった。
だが、当時のニューヨーク警察のパトロール方法はかなりしっかりとしたものであったことがわかっている。30分から45分の間隔で、一つの場所に再び戻ってくるような巡回体制がとられていた。また、見てきたように警察は通報を受けてからわずか2分で現場に急行している。
こうした点からみても、警察に批判の矛先を向けるのは、やや見当違いのものだと言えるだろう。
もう一つの意見は、目撃者達に向けられたものだった。
「事件を通報しなかった目撃者たちの実名を全て公表すべきだ」とする、批判が寄せられたのだ。
事件を取り上げる新聞や雑誌などは次第に増えていった。そこでは、「都会に暮らす人々は病んでいる」とする論調で事件を分析する記事が多くを占めた。
この事件が、隣人たちが密接な関係を持っているような地域で起きていれば違った結果になっていたはずだとされ、大都市圏で暮らす人々の他人に対する「無関心さ」や「冷たさ」がジェノヴィーズを殺したのだとする批判が突きつけられた。
こうした世論の高まりを受けて、事件は心理学者や精神分析医、神学者など多くの人間によって分析されることになった。
ある心理学者はテレビの影響だと分析し、テレビで過激な映像が繰り返し流されることで、人々は刺激に慣れすぎてしまい、事件を見ても何も心を動かされなくなってしまったのだとした。
ある精神分析医は大都市で暮らす中産階級の人間に特有な問題だと分析し、彼等は満たされた生活を送っているため、周囲で起きる自分とは関係のない問題には関心を持ちたがらないのだとした。