それでも予定通り、首相リヴァプールの提案によってキャロラインを追放するための法律について、議会で審議されることとなった。
その法案は「キャロライン・アミーリア・エリザベス女王からこの王国の王妃としての肩書き、大権、権利、特権及び免除特権を剥奪し、国王とキャロライン・アミーリア・エリザベスの結婚を解消させるための法律」と名付けられたもので、この長い名前の通り、キャロラインから女王としての一切の権限を剥奪し、離婚させようとするものであった。
一応は議会で行われる法案についての議論という形を取っているが、実質的にはキャロラインが海外を外遊中にベルガミとの間で不義の関係にあったのではないかとする疑惑についての裁判であった。
これは長い歴史をもつイギリス王室においても、前例のない事態であった。議会を巻き込んだ王妃に対する離婚裁判が行われることになったのだ。
この法案審議という建前で行われた離婚裁判は、1819年8月17日から貴族院で行わることになった。
裁判では、まず国王側の証人が召喚され、証言を行うことになった。彼等はキャロラインの外遊中にお付きとして従っていた従者たちで、ミラノ委員会に王妃は不義を働いていたと証言した人物たちであった。
彼等は「キャロラインとベルガミが抱き合ってキスをしている現場を見た」「二人は浴室にこもっている時があった」など数々の疑わしき現場を見たと証言した。
これに対し、王妃側は国王側の証人に対し、王妃との関係やその時の仕事の話などを質問した。すると、ほとんどの者が不手際などで、ベルガミに解雇された人物達ばかりで、王妃やベルガミに不満を持っていた人々であったことが明らかになった。
さらに、王妃側は国王側の証人たちがオムプテーダから金をもらい証言を行っていた事実まで明らかにした。