ジョージと普通の夫婦生活を送ることなど、すでに望んでいなかったキャロラインだが、このスキャンダルにキャロラインは深く傷ついていた。
一番傷ついたのは、この騒動は大きな心の支えであった国王にすら疑念を植え付け、以後はこれまでほどの親密な関係がなくなってしまったことだった。
騒動のあとに、キャロラインと国王の間で、このわだかまりを晴らすだけの接触の機会があれば、この関係も変わっていたことだろう。
しかし、その機会は永久に失われてしまうことになる。病気が再発し、ジョージ3世は完全に心を失ってしまったのだ。
その引き金は引いたのは、やはりハノーヴァーの血を受け継いだ息子が巻き起こした事件であった。
1809年、軍の最高司令官の地位にあった、次男のヨーク公フレデリックが愛人を通じて賄賂を受け取ったとする疑惑が持ち上がったのだ。
この疑惑は「デューク・アンド・デアリング・スキャンダル」と呼ばれ、議会で追求されるほどの大騒動となった。フレデリックが罪に問われることはなかったが、最高司令官の地位を失うはめになった。
これが、ジョージ3世の病気の再発を促し、視力すら失わせる大きなショックを与えた。
さらに、この翌年1810年にジョージ3世が子供達の中で最も愛していたと言われている末娘のアミリアが、結核のため27歳の若さでこの世を去ってしまう。
この度重なるショックでジョージ3世は完全に正気を失ってしまった。人望と賢明さを兼ねそろえた王は、いまや赤児同然の状態になってしまったのだ。