アガサ・クリスティーは1890年に保養地としても名高いデヴォン州トーキーで裕福な家庭の元に産まれた。
意外なことにアガサ・クリスティーは小学校には通っておらず、幼い頃は字の読み書きが出来なかったことが知られている。
これは彼女の母親クララの一風変わった教育方針のためだった。
クララはアガサを学校に通わせず、自ら勉強を教えたが、「字は7才になるまでは覚えない方が良い」として、その間まではいっさい字の読み書きを教えなかった。
そのため、アガサが幼い頃に書いた手紙やノートにはスペルミスが非常に多かったという。
父のフレデリックは父親から受け継いだ遺産を投資家に預けて、定職につかず、社交界のパーティーに出向いたり、演劇を盛んに鑑賞する日々を送っていた。
アガサには兄と姉もいるが、二人とも10才以上離れており、すでに家を出ていた。そのため、学校に通わなかったアガサには一緒に遊ぶことが出来る同世代の人間はおらず、もっぱら両親や、家政婦などと遊ぶ事が多かった。
学校にいかなかった事も影響したのか、アガサは内気な少女として育っていった。字を覚えてからは、両親の本を読み漁り、それらを元にして多くの時間を空想しながら過ごしていた。
そんな一風変わった家庭で育ったアガサだが、両親の事を深く尊敬し、周囲を美しい自然に囲まれた邸宅を愛し、幸せな幼少時代を送っていた。
しかし、父の財政状況が悪くなり、邸宅を売りにだすことも考えなければいけない状況になると、アガサは幸せな日々が終わってしまうのではないかという恐怖感に駆られるようになった。
結局、邸宅を売りに出すことは回避する事ができたのだが、この時の経験が後年、小説内で建物の描写に異様なまでにこだわる要因になったのでないかと言われている。
父のフレデリックは、職業人としての経歴がまるで無い中で、働き口を探す事態となったが、アガサが11才の時に失意の内に死亡してしまう。アガサは幼くして大切な人を失う悲しみを知ることになった。
以後は母のクララが苦しい財政状況をなんと切り盛りするようになる。