フランクリンが極地探検への想いを募らせる中、北西航路の遠征にうって出た人物がいた。1818年の北西航路への遠征でひどい辛酸をなめたジョン・ロスである。
ジョン・ロスは地に堕ちた威信を取り戻すべく、北西航路への再挑戦にやっきになっていた。しかし、国の援助を頼ることは出来ない。そこで、ロスはスポンサーから資金を募り、自ら探検隊を組織した。
1829年、ジョン・ロスは再び北西航路の発見を目指し遠征に出た。この遠征でも結局、北西航路の発見には至らなかったが、まだだれも知ることの無かった半島を見つけ、さらには北磁極(北半球で地球の磁力線が最も集中する地点)の発見という目覚ましい成果を持ち帰ることに成功した。
その功績が評価され、1834年にジョン・ロスはナイトの称号を与えられた。1818年の汚名を返上することに成功したのであった。
こうしたジョン・ロスの成功も、国をあげての北極地域の探険事業に火を灯すことはできなかった。イギリスが再び、探険事業に意欲を見せるのは10年以上も後のことであった。