105名の隊員達は軽装のまま船を覆う氷の上に降り立った。
ソリに残り少ない食料と物資を積み、「地獄」と「恐怖」という、まるで今の状況そのままの名前を冠した母船に別れを告げて、隊員たちは出発した。
この時点で生き残っている隊員たちの中で、局地探険の経験を有する者はクロージャー大佐を初め数人だけだった。それも、主に海上での探険経験を有する者ばかりで、極寒の陸路探険の経験を持つ者などはいなかった。
経験もなく、陸路の探険に適さない軽装備しか持たない彼等が、この凍てつくような寒さの中を徒歩で進むことなど、ほとんど自殺行為に等しいものであった。
おそらく彼等もそのことは十分理解していたのだろう。それでも、彼等にはその方法を取るしか、生存する道は残されていなかかった。
物資を積んだソリもかなりの重さがあった。105名の隊員の力を持ってしても、これを引きずって移動するのは相当な重労働だった。
原住民に遭遇した時のために積まれた贈り物など、生存に絶対に必要なもの以外の物資が全て捨てられた。これで、大分ソリは軽くなった。
それでも、経験も装備もなく、2年もの間船に閉じこめられて体力が落ちている上に、満足な量の食物も摂ることが出来ていなかった隊員達にとって、その行路はあまりに過酷なものだった。
次々と雪の中に崩れ落ちたまま動かなくなる隊員が続出した。そうして死んでいく隊員達の姿は、まだ生きている隊員たちの胸に、明日は自分がこうなのではないかという恐怖を刻み込んだ。
もう墓を作ってやる余裕さえなかった。隊員達は死んだ者たちをそこに残したまま、ただただ前に突き進んだ。
雪に身を沈めて死んでいった者の中には、士官達も含まれていた。統率できる人間が減っていったことで、次第に意見の対立が起きるようになった。
このまま進む恐怖に耐えられなくなった隊員達が、船に引き返すべきだと主張したのだ。
結局、2名が船に戻るため、引き返していったが、その2名とも帰路の途中で命を落とした。