ダフネとダーリーがこうした実験を行った背景として、ニューヨークで起きた3つの事件を例に上げた。だが、こうした「傍観者効果」が関係する事件が起きるのは、もちろんニューヨークに限ったことではない。
近年の日本でも「傍観者効果」が関係したと思われる事件が大きく報道されている。
それは、2006年の8月に滋賀県を走る特急列車「サンダーバード」の車内で起きた、会社員の女性が男に暴行された事件である。
犯人の男は自分がヤクザであることを女性にちらつかせた上で(男の実際の仕事は解体工だった)、他の乗客もいる車内で女性の体に触り、その後トイレに連れ込んで強姦した。
犯行は30分あまりに渡って行われ、事件に気づいていた乗客たちもいたのだが、誰も助けようとはしなかった。
男はその後、12月にも2件同様の犯行を繰り返し、それから数ヶ月経った後に警察に逮捕された。
事件が報道されると、新聞などによって、ジェノヴィーズ事件と同じように、傍観者となった乗客達は「冷たすぎる」として批判されることになった。
だが、電車内という、面識の無い人間達が集まる公共の場で起きた事件であり、この事件を目撃した人間達も、被害者に対する無関心さから行動しなかったわけではなく、「傍観者効果」によって行動を制限されていたのだと分析されている。
この事件を見てもわかる通り、「傍観者効果」が関係する事件は、見ず知らずの人間が多く集まる場所であれば、どこででも発生する可能性があるのだ。
ニューヨークタイムズの記者は事件を調べるために、ジェノヴィーズ事件の目撃者たちに取材を試みているが、誰も事件のことを語りたがらなかったのだという。
おそらく、実験で報告しなかった被験者達が葛藤状態にあったのと同じように、彼等も事件を報告しなかったことに、罪の意識を感じ苦しんでいたのだろう。
もちろん、こうした事件で最も大きな苦しみを受けるのは被害者であが、傍観者となった人間も重い葛藤を背負うことになる。そして、現代社会ではこうした傍観者の1人になる可能性は常に存在する。
ダフネとターリーは、傍観者を批判するのではなく、傍観者を生まないような社会システムを作ることが必要だと指摘しているが、そうしたシステムが運用されるような状況にはいまだ至っていない。
では、こうした緊急事態に遭遇したとき、どうしたら良いのだろうか。
彼等は、こうした緊急事態にいあわせた時に、「傍観者効果」の存在を思い出すことが、傍観者から脱却するための助けになるはずだと語っている。