事件は1922年2月2日、ハリウッドのウェスト・レイク地区にある閑静な住宅街で発生した。映画監督ウィリアム・デズモンド・テイラーが何者かに自宅で射殺されたのだ。
事件の第一発見者はテイラーの執事ヘンリー・ピーヴィーであった。この日の朝、いつものようにピーヴィーがテイラー邸を訪れてみると、床の上でテイラーが横たわり死亡しているのを発見した。ピーヴィーは慌てて付近の住人に知らせて回った。
次にテイラー邸を訪れたのは、パラマウント映画(当時の社名はフェイマス・プレイヤーズ・ラスキー・スタジオ)のハワード・フェローズであった。彼はテイラーを撮影現場まで車で送るためにやってきたのだが、テイラーが死亡しているのをみて驚いた。
フェローズはあわてて方々に連絡をいれると、パラマウントのゼネラルマネージャー、チャールズ・イートンからフェローズに連絡が入り、警察が来る前に問題のありそうなものをあらかた処分しておくように命令を受けた。
フェローズはすぐに動ける人間を集め、この作業を開始した。そうしてあらかた作業が行われたころ、警察がやってきて調査が開始された。
そこに、テイラーが死亡したことを聞きつけた新聞記者も大挙してテイラー邸を訪れた。
こうした混乱状態の中、チャールズ・イートンも直々にテイラー宅にやってきた。そして、勝手に家の中を動き回り、書類などいくつかの品を懐にしまい始めた。
この事件が起きたのは、性的暴行の果てに新人女優を殺害したとされたロスコー・アーバックルの公判がまさに行われていた渦中で、ハリウッドは世論からの激しい批判を浴びせかけられている最中であった。
テイラーもパラマウント専属の映画監督であったため、再びアーバックルのようなスキャンダルが発覚すれば会社やハリウッドにとって致命的な事態となる。イートンはこのことを危惧し、いてもたってもいられなくなり、問題になりそうな品々を自ら回収しにやってきたのだった。
現在であればこのような行為はとても許されないはずだが、当時のハリウッドは相当に大きな発言力を持っており、パラマウント社はハリウッドの中でも最大手の映画会社であった。このイートンの動きにたてつこうとする警察の人間はいなかったのだ。
だが、イートンのこの行動は、ハリウッドを大きな危機にさらす火ダネとなっていく。