この事態に恐怖したのは、イギリス国民であった。もしこのままジョージ3世が死亡するようなことがあれば、王位を継ぐのはジョージである。
イギリス国民の誰もが王の回復を祈った。その願いが叶ったのか、その数ヶ月後にジョージ3世は療養を経て快復する。そして、ジョージ3世は自らを病に追いやった問題を払拭すべく、大ナタを振るうことになった。
この頃の王室にとっての大きな問題は2つ、ジョージの借金と後継者問題であった。
当時、ジョージが放蕩の末に築き上げた借金は40万ポンドにまで膨れあがっていた。当時の王室の年間予算は83万ポンド、その半分にあたる途方もない額の借金をジョージは作り出していたのだ。
王室の威厳を保つためにも、これに早急に手を打つ必要性に迫られていた。
また、見てきたように、ジョージを初めとする息子達は、みな女性遊びにうつつをぬかしてばかりで、だれも正式な結婚をしておらず、正当な後継者がまだ1人もいない状況だった。
この二つを解決すべく、父王はジョージに対し、もし正当な結婚を行うならば、借金を肩代わりしてもらえるよう、議会に働きかけてやろうと持ちかけた。
返済を迫る借金取りが王室にまで大挙してやってくる状況にまでなっていたため、ジョージは、父王の提案を受け入れた。
泣く泣くフィッツハーバート婦人との関係を絶ち、肖像画の中から結婚相手の候補を選ぶことになった。
その中からジョージが選んだのが、従妹でありながらもいまだ一度もその姿を見たことのなかったキャロラインであった。