1968年に開催されたヨットによる世界一周レースで、参加者の1人がヨットを残し、突如失踪した事件。船員が謎の失踪を遂げた「メアリー・セレスト号事件」の再来とも言われ、世間の大きな注目を集めた。
1950年~60年は様々な偉業が達成された時代だった。1953年のエドモンド・ヒラリーによるエベレストの初登頂、1961年のユリ・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行、1967年のフランシス・チチェスターによるヨットでの単独世界一周の成功など枚挙に暇がない。
1945年の第二次世界大戦の終結を経て、科学の進歩と人々の情熱が明るい方向に向かった結果、成し遂げられた成果だったといえるだろう。
1968年、そんな明るい時代にもう一花咲かせようとするある新聞社があった。イギリスの新聞社サンデータイムズ社が、チチェスターの偉業を超えるべく、「世界最速」でのヨットによる世界単独一周レースを企画したのである。
そのレースは「ゴールデン・グローブ・レース」と名付けられた。1968年の6月はじめから10月末までにスタートした者を対象とし、到着した日付に関わらず、最も短い期間で世界一周を成し遂げた者に、5000ポンドの賞金(当時の価値で約450万円ほど)が与えられ、一番早い日付で到着したものにはゴールデン・グローブ・トロフィーが授与されるというものだった。
ゴールデン・グローブ・レースはマスコミ各社に大々的に取り上げられ、広く知れ渡ることとなった。
これほどの大がかりなレースとあって、ヨット界の猛者達がレースへの参加に続々と名乗りを上げた。
大西洋横断で優秀な功績を収めたチャイ・ブライス、大型のヨットを操る名操縦士ロビン・ノックス=ジョンストン、フランスの強豪ベルナール・モアテシエ、三胴式帆船の名手ナイジェル・テトリーなどみな腕に覚えのある強者揃いだった。
強豪達は整備や物資の調達など、レースに向けた準備を着々と進めていった。